チン

まだ小学生になる前か。ビニールの青い戦隊ものの印刷された靴が欲しくてしょうがなかったころか。まったく悩みがなく、よだれをダラダラ爆走していたころ。近所のHさんの家によく遊びにいっていた。そこの家は子供がいない60代くらいの夫婦2人暮らし。孫のようにすごく可愛がってもらったものです。ただ子供の自分がそこのお宅に頻繁に遊びにいくには大きな理由があった。お小遣いがもらえるとかよりも特別な理由。

当時電子レンジが世の中に出たばかり。新しい電化製品をいち早く手に入れるHさん宅にはそれがあった。「チンッ」という音がなるとその緑色の箱からピラフみたいなものが出てくる。なんでだろう。うまかった。特別な感じがしたものです。チンのご飯、チンのご飯と50メートルくらいあるHさん宅へと走るとき、急いでひっかけた大人用の大きなサンダルのかかとが地面にすれる音と感触。

そのHさん。旦那さんは随分前ですが。奥さんもつい先日亡くなってしまいました。遺影の中のその人はじっとこちらを見詰めていて、今にも写真の後ろから「チンッ」となりそうで。通夜ぶるまいのうどんをそっと吸いながら耳を澄ます。

そういえば旦那さんはよくカメラをもっていた。ポラロイドカメラで撮影してくれた時には、すぐに絵が出て来たことに驚いた。もしかしたら「チンッ」を10回くらい聞いた頃。僕の職業は決まっていたのかもしれない。

おじちゃん。おばちゃん。ありがとう。